道化師の蝶
書いたと思っていたのだけれど書いていなかったので(ローカルのノートに書いていたらしい)、今更ながら公開しておく。何故か今日、そんな話になったもので。
表題作は芥川賞を受賞した。驚くべきことだ。難しいとか読めない、破綻している、バカにしているなどだけでなく、睡眠薬代わりになるという効果も発見されている。自分は、比較的普通に、でもないが眠らずに読めた。読めたことは必ずしも理解できていることを意味しないが、それはどんな作品についても同様なので、そうした事柄については無視する。
通常、自分は感想文を書く時に、本文の内容には可能な範囲で触れないことにしているが、「まともな人間には読めない説」があったり、「まともでないことを確認する踏み絵」のようになっているので、いやそんなことはない、自分はある程度まともな人間であると主張するべく、こう読みましたということを書いておくことにした。
文章というのはとても多くの次元を含み得るようで、これはその写像の一例にすぎないということを留意されたい。つまり、別にここには量子力学のことを書かないが、そう言う発想を否定するつもりはないということだ。
前置きが長くなったが、では珍しく本文について。
一般的には、「人が着想を得る話」と解釈されている。閃きを得るまでに、全く関係ないようなプロセスを経て、蝶が着想の卵を産みにくる、みたいな感じだ。そこに量子力学的モチーフがあるかもしれないが、とりあえずおいておく。
全体は5篇のパーツからなっており、登場人物が重複するのだが、ひとつながりのストーリーだと考えようとすると結構辛く、読み進めることが困難となり、つまり眠くなる可能性がある。自分はSF読みなのでSF的世界観を持ち出すと、これらは似て非なる並行世界を描いたのだ、と解釈して誤魔化した。こう考えれば、脳内の混乱を少しは抑えられるかなと言ったところだ。投げやりだが、それぞれ好きに乗り越えるべき部分だと思う。
着想は5つの世界をふわふわと飛んで、最終的に卵を産みつけるわけなのだが、問題はどこに産みつけたのかということだ。自分は、「読者の頭の中」であると考えた。道化師の蝶は、物語の世界を渡り歩き、最終的に物語の外、読者の頭の中に卵を産みにくる。つまり本作はそんなストーリーだと解釈した。
そう考えると、物語に存在する数々の謎や矛盾、あらゆる言葉が全て罠なのではないかと言う気がしてくる。色々な人(読者)を引っ掛け、そいつの頭の中に卵を産んでやろうと虎視眈々と狙っているやつが「道化師の蝶」である。
そして現実に、その卵が孵り、育った結果として、こんな文章になっている。これは、ターゲットを「読者」としたトロイの木馬型のウイルスであるとも言える。おいおいどうしてくれる、というのが率直な感想だろうか。
さて。本を読んで、色々な発想が生まれ、それが何かしら別の形になるというのは、考えてみれば普通のことだ。しかし、これを言い換えると、文章によって脳内に何かしらの新たな「構造」を構築可能であるということもできる。文章の内容は実体を伴わないが、それを元に人間を実行動させることが出来る訳だから、「情報は実体化することもできる」と言えるかもしれない。現に文章の中の蝶は、人間の脳に卵を産み落として様々な人の行動を変化させ、ある意味に置いては現実世界に到達しているとも言えよう。情報というものの不思議さ。そんなことを考えた。