風の邦、星の渚

中世でファーストコンタクト、と来るとどうしても「異星人の郷」と比較したくなるが、方向性が大きく違う。別にファーストコンタクト自体はテーマではないようだし、そもそも問題にもなっていない。それよりも町作りものというか、「復活の地」のような感じかなぁ。いや違うか。

時期やターゲットの問題もあるだろうが、小川一水の作品は読みやすすぎてコストパフォーマンスが悪い。野尻抱介程ではないにせよ。

風の邦、星の渚―レーズスフェント興亡記風の邦、星の渚 上―レーズスフェント興亡記 (角川春樹事務所 ハルキ文庫)

機龍警察 自爆条項

普通に警察ものとして読むと良いのではないかと思った。至近未来ということなので現実ともリンクしかねない設定になり、なかなか出来のいい「現代もの」と考えてもさほど遜色ない気がする。自分はそういうのはあまり読んだことはないので、そっち方面が好きな人の感想が聞きたい。

一応、前作の絡みはあるにはあるが、ほんの一部だけ。伏線を残したままというか、おそらくメインだろうという線はほとんどノータッチに近いので、今後もしばらく続くんだろうなぁ(すでに発売予定の単行本あるし…文庫まで待つけれど)。このパターンで一人ずつ掘っていくことにしてしまうと先がすごく長いなぁ。まあ楽しみにしよう。

機龍警察 自爆条項 (上) (ハヤカワ文庫JA)機龍警察 自爆条項 (下) (ハヤカワ文庫JA)

THE FUTURE IS JAPANESE

海外で出版された「日本テーマのアンソロジー」を日本語に翻訳した、という、経路が何か複雑な逆輸入?作品集。

玉石混交というか、これで終わっていいの?と思うような終わり方をされたりもするのだが、最近の短編のトレンドなんだろうか。良いんだけど。いや、良くない。つまり、「謎が残る」ではなくて「続きそう」な終わり方なんだよね。リドルストーリーと言えば聞こえは良いのかもしれないのだが、そういう問題じゃないよ。うん。結構魅力的なストーリーだったりもして、続き書く気あるなら書けよ、と思うものがそこそこある。

ま、それは良くはないが良いとして。

日本人作家も参加していて、ものによって書き下ろしだったりもするので、本当の逆輸入状態だ。ちゃんと海外にも行っているのかと思うと、うれしくもある。「不思議な日本感」を感じなくもないが、その不思議さを含めて、何か「愛」のようなものを感じざるを得ず、不思議と心地よさがある。いろんな意味で日本の作品を思う、そういう作品集だった。

THE FUTURE IS JAPANESE (Jコレクション)

ペンギン・ハイウェイ

唐突にこれを読んだのは、本作がSFだとかそうでないとかを見たからなので、一応SF読みとしてSFなのか考察したい。

SFの定義は割と曖昧なので、ハッキリしたことは何とも言い難い。参照しやすいWikipediaあたりを見ても、何かの定義になっているようには到底思えない。「そういうもの」がSFである。

言いようによっては、SFというものには不確定性があるのだろう。確かに「SFという何か」がありそうなのだが、一つのものさしで観測するとその他が曖昧になってしまうのだ。これは難しい相手である。

細かいことを考えずにモチーフとアプローチで区切るなら、舞台装置としてSF的モチーフを使用しているとは言えよう。同様のことは同作者の「四畳半」のほうについても指摘できる。

本書で主役になる「海」は、ある意味では四畳半世界と同様の性質を持ったものであるとも考えられる。どうやらそう言った世界観がお好みらしい。少なくとも「SFマインドのある作家である」とは結論できそうだ。

ただし、その秘密、そのメカニズムに直接アプローチすることはない。この辺りがSFなのかそうでないのかの論争を産んでいるのかもしれない。

SF読み的なSF考察をともかくとすると、全体的にたんたんと静かに進むが、何とも言えない懐かしさや、身に覚えのある感覚などが面白い。おそらくこれはそういう小説であって、上記のようにSFがどうたら言っているのは、たぶん無粋なのである。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

Net::Twitter->updateのresをMojo::JSONに通すとidがズレる

TweetのIDはMojo::JSONを通る過程で丸められてしまう事がある、という話。

use feature 'say';
use Net::Twitter;
use Mojo::JSON 'j';

my $nt = Net::Twitter->new( ... );

my $res = $nt->update( scalar localtime );

say $res->{id}; => 362827222706438144
say j( j( $res ) )->{id}; => 3.62827222706438e+17

JSON になったデータを見てみると特に間違ってはいないので、 JSON -> hashref の変換時に丸まるのだと考えられる。従ってこのデータを元にTweetを探すと、思ったように動かない。

解決としては、 id_str を使えば良い。 id_str はその名の通り文字列なので、数値として丸められることはない。

say $res->{id}; => 362827222706438144
say j( j( $res ) )->{id_str}; => 362827222706438144

特に、得た結果を JSON で格納しておくときなどにハマる、かもしれない。というかハマった、という記録。

バナナ剥きには最適の日々

何故か円城塔が並んだので(しかも前回が200日以上前でさらに読んだ順序からすれば道化師の蝶の方がだいぶ先だ!)、もう一つ並べておく。基本的に自分は文庫派(?)の人間でハードカバーの本を買わないのだが(持ち歩きにくくて…)、せっかく珍しい人が芥川賞を取ったので、記念の特権です。

で。円城塔は人によって好き嫌いがあるだろうから好みに任せれば良いと思うのだが、表題作が可愛い。可愛いので、表題作は読んでみて良いと思う。

ちなみに、円城塔を一冊読むのはちょっとアレで(自分は好きですけどね)、一作のために買うのもなぁという場合は、例えば 2010 年に出た 2009 年の年刊日本SF傑作選「量子回廊」(短編集)にも収録されているので、そう言う手もある。

バナナ剥きには最適の日々量子回廊 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)

道化師の蝶

書いたと思っていたのだけれど書いていなかったので(ローカルのノートに書いていたらしい)、今更ながら公開しておく。何故か今日、そんな話になったもので。

表題作は芥川賞を受賞した。驚くべきことだ。難しいとか読めない、破綻している、バカにしているなどだけでなく、睡眠薬代わりになるという効果も発見されている。自分は、比較的普通に、でもないが眠らずに読めた。読めたことは必ずしも理解できていることを意味しないが、それはどんな作品についても同様なので、そうした事柄については無視する。

通常、自分は感想文を書く時に、本文の内容には可能な範囲で触れないことにしているが、「まともな人間には読めない説」があったり、「まともでないことを確認する踏み絵」のようになっているので、いやそんなことはない、自分はある程度まともな人間であると主張するべく、こう読みましたということを書いておくことにした。

文章というのはとても多くの次元を含み得るようで、これはその写像の一例にすぎないということを留意されたい。つまり、別にここには量子力学のことを書かないが、そう言う発想を否定するつもりはないということだ。

前置きが長くなったが、では珍しく本文について。

一般的には、「人が着想を得る話」と解釈されている。閃きを得るまでに、全く関係ないようなプロセスを経て、蝶が着想の卵を産みにくる、みたいな感じだ。そこに量子力学的モチーフがあるかもしれないが、とりあえずおいておく。

全体は5篇のパーツからなっており、登場人物が重複するのだが、ひとつながりのストーリーだと考えようとすると結構辛く、読み進めることが困難となり、つまり眠くなる可能性がある。自分はSF読みなのでSF的世界観を持ち出すと、これらは似て非なる並行世界を描いたのだ、と解釈して誤魔化した。こう考えれば、脳内の混乱を少しは抑えられるかなと言ったところだ。投げやりだが、それぞれ好きに乗り越えるべき部分だと思う。

着想は5つの世界をふわふわと飛んで、最終的に卵を産みつけるわけなのだが、問題はどこに産みつけたのかということだ。自分は、「読者の頭の中」であると考えた。道化師の蝶は、物語の世界を渡り歩き、最終的に物語の外、読者の頭の中に卵を産みにくる。つまり本作はそんなストーリーだと解釈した。

そう考えると、物語に存在する数々の謎や矛盾、あらゆる言葉が全て罠なのではないかと言う気がしてくる。色々な人(読者)を引っ掛け、そいつの頭の中に卵を産んでやろうと虎視眈々と狙っているやつが「道化師の蝶」である。

そして現実に、その卵が孵り、育った結果として、こんな文章になっている。これは、ターゲットを「読者」としたトロイの木馬型のウイルスであるとも言える。おいおいどうしてくれる、というのが率直な感想だろうか。

さて。本を読んで、色々な発想が生まれ、それが何かしら別の形になるというのは、考えてみれば普通のことだ。しかし、これを言い換えると、文章によって脳内に何かしらの新たな「構造」を構築可能であるということもできる。文章の内容は実体を伴わないが、それを元に人間を実行動させることが出来る訳だから、「情報は実体化することもできる」と言えるかもしれない。現に文章の中の蝶は、人間の脳に卵を産み落として様々な人の行動を変化させ、ある意味に置いては現実世界に到達しているとも言えよう。情報というものの不思議さ。そんなことを考えた。

道化師の蝶